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 そろそろ冬かな
    12 月
   

 ここでは、普段から私が考えていることを徒然に書いていきます
 内容は何を書くかわかりませんので、暇な人は見ていってください
 ひょっとしたら私の性格分析ができるかもしれません。


 【12月編】

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★2003.12.31 ・・・・・   大晦日   ・・・・・

 僕にとっては慌ただしく始まった2003年も、忙しいまま大晦日を迎えてしまい、本当に忙しかった一年となってしまい、年初に思っていたことの半分も実行できず、反省することしきりの一年でしたが、なんとか無事に越年できるということでは、あらゆることに感謝すべきことでしょう

 年末年始も、曜日の巡り合わせが良く、たくさんの連休があるのですが、あまり家の仕事もはかどらずに愛車を洗いに行くまもなく正月を迎えることになってしまいました
 これから、格闘技を見ながら年越しです
 
 

 最後になってしまい申し訳ありませんが

 今年一年 このHPを訪問していただいた方には、本当に感謝を申し上げます

 また、来年もよろしくお願い申し上げます



★2003.12.22 ・・・・・  目黒雅叙園・1  ・・・・・

本日は冬至ということで、年中行事の好きな僕はゆず湯をゆっくりと楽しみました。これで無病息災となるかどうかはわかりませんが、たまにはゆずの香りに包まれるということも、なかなか良いものです


 昨日は、親戚の結婚式があり、目黒の雅叙園に行って来ました
 いままでも結婚式や会議、あるいは各種セレモニーなどにより、東京の有名ホテルなどには、出かけたことがあるのですが、今まで行く機会がまったくなかったのが、この雅叙園でした

 披露宴が始まる前に、有名な百段階段を1時間ほどかけて見学させてくれるということで、披露宴ももちろんのことですが、こちらの見学も楽しみに、カミさんと母親と3人で目黒まで電車で行ってきました
 百段階段とは、この雅叙園が昭和6年に、創業者の細川力蔵が、江戸名所のひとつでもあった目黒に広大な土地を購入し、廊下だけでも数百メートル、延坪八千余坪、部屋数二百余室の「目黒雅叙園」という高級料亭を創設し、その後、改築などを行ってきたのですが、一番最初から残っている山の斜面に建築された部屋とそれを繋ぐ廊下(階段)のことで、この建築物一式は国の登録有形文化財に認定されているというものです
 ですから、当時の面影を偲ぶことができるとともに、当時の贅を凝らした建築様式を拝見できることは、非常に楽しみでもありました

 披露宴の参列者が集合し、集合写真を撮影してから、いよいよ百段階段を案内してくれることになり、正面ロビーに向かうと、案内をしてくれるおじさんが唐獅子螺鈿が焼き付けられた、特別エレベーターの前で待っていました。どうやら、このエレベーターで行くようです
 エレベーターに乗り、3階で降りると、そこが百段階段の入り口で、ここで履き物をスリッパに変え、いよいよ各部屋を案内してもらうことになりました。案内人のおじさんの後をついていき、各部屋の説明を聞くと、下から十畝・星光・漁樵・草丘・静水・清方の間と続いているようで、十畝・静水・清方の間は、荒木十畝・橋本静水・鏑木清方などの著名な日本画家が部屋の中にある天井画や壁画を描いている部屋で、星光・漁樵・草丘の間については、四季折々の自然や文物が豪華に描かれている部屋となっていて、それぞれの間取りもそこそこ広く作られていることから、星光の間については、当時の社長室で、最上階の清方の間については茶室となっていて、他の部屋は基本的には宴会場として利用されていたそうです

 廊下と内縁側は、すべて欅の無垢材が使用されていて、室内の装飾も驚くほどの豪華さで、便所などは一坪以上もある広さでした。ガラス戸一枚にしても、特殊な凝ったガラスが使われていたり、すべての桟には鰭飾りが付いているなどの、まさに贅を尽くしているという作りでした

 その中でも、最高級の部屋は、なんといっても鏑木清方が一年間泊まり込んで部屋に飾る絵を描いたという、最上階にある清方の間(茶室)です。床の間の床柱だけでも、当時の価格で普通の家が数軒建つほどの高価な床柱で、内縁側の廊下は、なんと総黒檀製でした。黒檀は普通は家具などに使われるだけで、建築材としても時折床柱に使われるような、いわゆる「高級銘木」なのですが、これが廊下一面に整然と敷き詰められているのを見ると、やはり驚かざるを得ません。日本広しといえど、廊下材に黒檀を使っているところなどは、まずここだけでしょう。この廊下にはただただ驚かされるだけでした

 もちろん、彼(清方)の描いた絵だけでも数億円の価値があるだろうし、壁面だけでなく網代天井の中にも彼が描いた絵があるなど、これにも腰が抜けそうになるくらい驚かされ、久しぶりに、目の保養をさせてもらった感じです

 1枚目の写真は、雅叙園の入り口にある「お七の井戸」と言われるもので、江戸を大火に巻き込んだことで有名な八百屋お七に関連する井戸らしいのですが、詳しいことはよくわかりませんでした。2枚目の写真は、ロビーから奥に続く通路に置かれていた飾り棚なのですが、飾られているものはたいしたことはない物でしたが、なんといってもこの飾り棚の作りは、驚くほど凄い物でした。このようなアンティークな西洋家具もいろいろと見たことはあるのですが、群を抜く作りの良さでした。写真では良く見ることができませんが、すべてが寄せ木細工でできており、流麗な曲線美がたまらなく美しい逸品でした。3枚目の写真は、ロビーのクローク近くにあるトイレの入り口です。ここを入って右側が男性用トイレとなっていて、左側が女性用トイレでした。トイレの中の造りは、この入り口とはうってかわって純和風な造りとなっていて、全体としては、和洋中の3者を折衷させたような、ちょっと変わった造りのホテルでありました


★2003.12.17 ・・・・・   暖 冬   ・・・・・

 暖冬という言葉が使われるようになって、すでに久しいのですが、今年の暖冬具合は、いつもの暖冬と呼ばれている時よりもさらに激しく、12月とは思えないほどの暖かい日が続いていましたが、ようやく寒気が入ってきたようで、数日前から少し冷え込むようになってきました
 甲府の初氷も、観測史上一番遅い日でしたし、スキー場が雪不足でオープンできないなどというニュースもあちこちから聞こえてきましたし、今日もこの様なニュースが配信されていました

   ニュース

 少し前は、北海道のスキー場が、雪不足で苦しんでいるようでしたが、今回のニュースは東北のスキー場のようで、どこも降雪の少なさと、暖冬で人工降雪機が使えずに困っているようですね

 また、少し前のネットでは「このまま暖冬が進むと、標高1500m以下のスキー場は、将来は存続できないだろう」というちょっとショッキングなニュースも配信されてきました。そのニュースを見て、すぐ脳裏に浮かんだのが 『水不足』 です。本県でもいくつか水瓶と呼ばれているダムがあるのですが、その流域上流部を見ても、標高2500m前後の稜線部分がうっすらと雪が積もっているだけで、年末にこのような光景とは、初めての景色です。これから本格的な雪シーズンに突入するので、今後の降雪量を予想することはできませんが、このままでは水不足になることは間違いないのではないかと思われるほどです
 このように、暖冬→雪不足→水不足と進むことは、簡単に予想されますので、ただでさえ世界の水不足が危惧されているなかで、このような暖冬が続くということは、今後の水危機をさらに悪化させる要因になるのではないでしょうか? 
 そのようなことを漠然と考えていたら、群馬県内に建設を予定されていた戸倉ダムというのが、受益者から利水の必要性が少なくなったということで、中止されることが決定され、国営県営を含め他の多目的ダムについても、あちこちで見直し作業が進んでいるようです。今後、世界の気候は暖冬方向で進むと予想をされていますので、想像以上に暖冬が進むようになってしまうと、いつしか、深刻な水不足がやって来るのではないかと思ってしまいます


★2003.12.14 ・・・・・   討ち入り   ・・・・・

 『時は元禄15年12月14日寅の上刻、めざすは本所松坂町・・・・・』と語られ、あまりにも有名な赤穂浪士の討ち入りですが、すでにこの事件から300年も経っているとは、時の経つのも早いものです(なんて書き方をすると、その頃も生きていたような感じですね)

 この日は、ほぼ毎年、どこかのTV局で、赤穂浪士の番組を放送していて、年末には恒例の番組であったような記憶があるのですが、今日の新聞のTV欄を見ると、どこのTV局にもその名は見つからず、いたって普段通りの番組構成でした。基本的には、ドキュメンタリーが好きなのですが、このように脚色された人情話というのも、年の瀬を迎えて忙しい時には、ホッと一息つけて、活力も生まれてくるような感じがするので、暮れにはいつも楽しみにしていたのですが、今年は、ちょっと残念でした(とは言いながらも、昨年も見たかというと、ちょっと記憶が怪しいのですが・・・・・)

 あらためて新聞のTV欄を見てみると、バラエティー系の番組が多く、あたり前のことですが、番組内容についても時代を反映した内容のものが多くなっています。時代劇といっても、水戸黄門と子連れ狼が放映されているくらいでしたが、子連れ狼については、今日が最終回のようですので、そうすると残された時代劇は、水戸黄門だけになってしまうのでしょうか?
 子供の頃は、結構時代劇も好きで見ていた記憶があるのですが、今の子供達は、時代劇なんて見ないのでしょうね


★2003.12.13 ・・・・・  反則金と罰金・3  ・・・・・

 前回の道路交通法(道交法)の改正により、飲酒運転の罰金が高額になり、昨年の新聞紙面を騒がせたことを思い出します。交通機関があまり発達していないちょっと田舎ならば、当たり前のように飲酒運転が横行していたのですが、道交法が改正された後は、飲酒運転が激減したようです。こちらでは、駐車場の無い飲み屋さんは存在しないのですが、かなりの飲み屋さんは大打撃を被ったと聞いていますし、それとは反対に、運転代行業が繁盛して、タクシー会社まで運転代行を始めるようになりました
 そうは言っても、なかには大胆な人もたくさんいるもので、飲酒運転が完全に無くなったわけではなく、飲酒しても車を乗り回している人はけっこう見られたのですが、あるニュースをきっかけに、飲酒運転も激減したらしいです。そのニュースとは、ゴルフコンペ帰りの人を検問したら、軒並み飲酒運転で捕まってしまい、そのゴルフコンペに参加した人達だけで、罰金の総額が1000万円ほどになったというニュースです。ここのゴルフ場は、そこに行く道が一本しかなく、その道路上で飲酒の検問をしたのですから、ちょっとでもお酒を飲んだ人は、ほとんど捕まってしまったそうです。この時も運転手だけでなく、同乗者にも罰金が科せられたそうで、全国にも配信されたように記憶しています。ちなみに罰金額は、運転手が50万円で、同乗者が30万円くらいだったそうです。それにしても、1組のゴルフコンペだけで総額1000万円の罰金とは、やはり凄いものです
 もう一つ、世間を震撼させたのは、同乗者への罰金ですね。いわゆる連帯責任という感じでしょうか。今年に入ってからも、旅行に行った時のマイクロバスの運転手が、飲酒運転で捕まったところ、そのことを知っていた同乗者は、全員30万円くらいの罰金になったそうで、この報道も、飲酒運転の恐ろしさを伝えた報道でした



★2003.12.10 ・・・・・  反則金と罰金・2  ・・・・・

 罰金で思い出すのは、大学時代にアルバイトをしていた建築屋さんの親方の事です。詳しい内容はよく覚えていないのですが、交通違反で捕まって、一番多く言い渡された罰金が50数万円だったそうです

 その親方の話によると、若い頃、運転免許をとるのが面倒くさくて、無免許で運転を続けていたらしく、最初は7〜8年に1度くらいの割合で無免許運転で捕まっていたそうです。その頃は、罰金も30,000円程度だったそうですが、最後の頃は年に1度くらいのペースで捕まるようになってしまい、いわゆる常習無免許運転者というレッテルを貼られてしまったのです。もちろん、捕まるたびに罰金の額は鰻登りのようにあがったらしく、最後に、信号無視と無免許運転で捕まってしまった時には、罰金額が50数万円という高額になってしまったそうで、これなら運転免許を取った方が安いとばかり、正式に運転免許を取得したという強者(つわもの)の人がいました
 最後の罰金の額をみると、とても交通違反の罰金とは思えない額です。この時は、夜中に車を走らせていたそうで、車の通行量が少ない交差点で、安全確認をした後に信号無視をして交差点を通過したそうですが、パトカーが近くに隠れていたらしく、追跡され捕まったそうです。裁判官からは、かなり悪質な常習無免許運転者に映ったのでしょう。それで、このような額になったそうです。実際、親方の運転は非常に大人しい安全運転でしたので、その話を聞いた時もあまりピンとくることがありませんでした。恐らく無免許で運転をしようと思う人は、捕まらないように安全運転を心がけているのでしょう。すでにこの世にはいませんが、僕の知っている、もう一人の常習無免許運転者も、絵に描いたような安全運転者でした



★2003.12.8 ・・・・・  反則金と罰金・1  ・・・・・

 掲示板でのJyoさんの投稿は往生際の悪さを書いていましたが、往生際の悪さでは、僕も昔は負けていません。あれは、今から20年以上前の大学生の時の事です。当時、大学のキャンパスは都内にあったのですが、年に2度ほど神奈川の二宮町に研修をしに来ていて、その時も大学時代の同級生3人と、二宮町に研修に行く時のことでした

 東名高速から小田原厚木道路への分岐のところで、スピード一斉取り締まりをしていて、気づかずに、そこを通過してしまいました。そこは東名高速から分岐して、そのまま小田原厚木道路に乗れるようになっていて、いつものとおり、東名からそのまま分岐している道を走り、たぶん500mも走らないうちだと思うのですが、急に路上にいる警察官に誘導され、「あれっ・・・」と思ったら、その警察官曰わく「ちょっとスピードを出しすぎていましたね。速度超過違反ですので、あちらの席まで免許証をお持ちになって来てください」と告げられました
 『えっ、そんな馬鹿な。捕まらないように速度を落として走っていたはずなんだけどなぁ・・・・』そんな思いを持ちながら、車を指定された場所に置き、用意をされた取り調べ(調書作成用)の机に座ると、そこに座っていた警察官に、即座に「免許証を見せてください」と言われながら、1枚の紙切れを差し出され、その小さな紙切れには車のナンバーと超過速度が記載されていました(記載されているというよりも、電算の打ち出しみたいな小さな紙切れでした)。「えっ、26kmオーバーなの? そんなにスピードオーバーはしていないつもりですけど!」と、強く反発したのですが、もちろん聞き入れてくれるはずがありません
 当時は、スピード違反でも26km以上は即免停(免許停止)でしたので、簡単に僕も了承することができません。「僕はちゃんと100kmくらいで走っていたはずで、速度違反とは間違いとしか思えない」と言うと、警察官は「最高速が100kmなのは東名高速だけで、ここの道路(小田原厚木道路)に入った瞬間に最高速は70kmになるのです、道路標識にもその表示があったはずですよ。そこを時速96kmで走行したので26kmの速度超過違反になります」。「えっ・・・・・それって、ちょっと汚いやり方じゃん」
 その後もしばらくの間は、見難い道路標識や表示についてイチャモンをつけたり、このような捕まえ易いところで速度取り締まりをしていることの不満をあげたり、最後は、速度超過をしないように事前に周知するのが警察の務めだろうと、さんざん屁理屈をぶちまけたのですが、もちろん、それだけで許してくれるほど警察は甘くはありません
 仕方がなく、「免停にならないよう2kmまけてくれたらサインをします」と提案したのですが、受け付けてもらえませんでした。「ちょっと考えさせてください」と、車の運転席に戻らせてもらい、友達と話をしたりカーステレオを聴きながら1時間ほど過ごしていると、トントンと警察官が窓を叩き、「覚悟は決まったかな? そろそろ、書類にサインをしてくれ。そうしないと、取り締まりを終えて帰ることができないよ」と言うので、「こっちだって急いでいたのを停められてしまったので、今日の用事がパーになってしまったんだからおあいこじゃん」と言いましたら、「サインをしてくれないと公務執行妨害で逮捕しなくちゃならないんだよ」と言われ、「えっ、それって脅しじゃあないですか?」、「脅しじゃあないよ、サインをしてくれないと逮捕します」と、キッパリと言われてしまったので、しぶしぶと車を降り、サインをすることにしました
 結局のところ、この日の授業もそのままさぼることに決め込み、湘南あたりをぶらついてから家に帰ったように記憶しています

 ちなみに、当時の反則金は、25km以下の場合は一律10,000円程度でしたが、26km以上になると、当時は概ね1,000円/km程度の額になり、確か30,000円前後の罰金でした。いちおう略式裁判という形で処分を受けるらしく、1ヶ月ほどすると簡易裁判所から呼び出しの通知が来て、裁判所に行くと簡易判決文みたいなものを見せられ、「ここに書いてある内容で、間違いありませんか?」と聞かれ、何かの書類に印鑑を押した記憶があります。そうすると、罰金の納付書を渡される仕組みで、罰金の支払先は検察庁だと思いました
 つまり、違反をしたその場で『反則金』の支払いキップを渡されるのではなく、簡易裁判所で『罰金』として言い渡されるのです。なかなか厳しいですね



★2003.12.6 ・・・・・   嬉しい出来事   ・・・・・

 慌ただしい師走に突入し、既に今年も残り1ヶ月もないことに、やっと気がつきました。ここ2週間の間でも5つの忘年会をこなすなど、風邪をひきながらも、なんとか過ごしてきましたが、皆さんは、お元気に年末を過ごされているのでしょうか?

 本日は、年末繁忙の合間を縫って本県のRDB(レッドデータブック)作成のための野外調査に出かけてきました。普段なら山岳地帯ばかりに出かけているのですが、久しぶりに河原で探鳥を楽しんできました(楽しんだとはいえ、一応決められた調査は確実にこなしてきました)
 その際、狭い河原の土手を車で走っていたら、四駆の対向車が来るのが見えたので、簡単にすれ違いができそうな広いところで対向車待っていたら、対向車の運転手さんに、すれ違いざまに「もしかして、○○さんですか?」と聞かれてしまいました。『えっ誰だったかな・・・・』と、薄い記憶力を思い起こしていたのですが、「HPを見させていただきました。車がデリカということでしたので、もしかしたら○○さんかなと思って声をかけさせていただきました」と、丁寧に声をかけられまして、ちょっと驚いたと思う反面、嬉しかったですね。山梨に住んでいて、地元の野鳥の会にも所属はしているのですが、10年以上も顔を出していない幽霊会員ですし、野鳥の会会員以外でも鳥を見ている人はたくさんいると思うのですが、まったく交流がないので、実際は、どのような人達が地元にいるのかということすら、最近では疎くなっているのですが、このように声をかけられると、なんとなく新しい仲間が増えた感じがして、とても嬉しいですね。ましてや、「HPを見たことがあります」などと言われると、本当に感激してしまいます

 見ず知らずの人からこのようなこと(「HPを見たことがあります」)を言われたことは、今回で2度目なのですが、嬉しいと言うよりも本当にありがたく思っています。年の瀬の忙しい最中なのですが、慌ただしさを忘れさせてくれるくらいの出来事でした

 さて、本日1枚目の写真は、河原で出会ったコハクチョウです。本県には、本種の渡来地は無いので、県内ではめったに見られないのですが、久しぶりに見ることができました。この時は、天気も既に雨になっていたのですが、頑張って観察しました
 2枚目の写真は、オオタカの幼鳥です。オオタカには成幼あわせて7羽を見たのですが、掲示板でオオタカの翼下面の斑文の話が出ていたので、いつもなら、「オオタカかぁ・・・」と、種の確認だけで済ませてしまうのですが、今日は飛翔の姿も良く見ることにしました(笑)。こんなに真剣にオオタカを観察したのは何年振りでしょうか・・・・・



★2003.12.4 ・・・・・   音楽とは   ・・・・・

 風邪をひいているので、夜はできるだけ休むようにしたり、早く寝ようと心がけたりしているので、お酒を飲んで軽く風呂に入ってからは、最近では、布団に入りながらTVなどを見たりしています
 昨日は、TVで「FNS歌謡音楽祭」というような番組があり、子供が見ていたので、僕もつられて一緒に見ていたのですが、番組を見ていて驚いたのは、高価そうなセットがあったり、生での中継があったり、バックコーラスにもたくさんの人がいたりと、けっこうお金をかけて作っている番組だなと思っていたのですが、内容はというと、ほとんどの時間がつまらない司会者の話ばかりが大半で、いざ歌手が出演して歌を歌う時は、すべてがワンコーラスだけという、とても音楽祭とか音楽番組とは思えない内容でした。音楽番組というよりも、ただのトーク番組みたいな感じで、あまりの内容の無さに、驚いてしまいました

 たとえどのような音楽であれ、3番まで歌詞のあるものは、3番の歌詞が終わりエンディング終了するまでで一つの作品であるのが、ごく普通に当たり前だと思うっているのですが・・・・・・・
 トーク番組やお笑い番組にアイドルみたいなのが、ちょっと出てきては歌の宣伝をするのとは違い、仮にも「音楽祭」という名称を付けている番組でさえも、このようなものと同じレベルかと思うと、苦笑せざるを得ませんでした

 このことは、大袈裟に言うと、1枚の絵を見るのに半分を隠されて見ているのと同じではないのか? これは、ラジオ番組でも同じなのですが、イントロの導入部分が始まり、いざ歌詞部分にさしかかるまで、パーソナリティーと呼ばれている人達は、ぐちゃぐちゃ喋りを続けているし、ほとんどの場合が、最後まで聞かせることなくフェードアウトしながら終わってしまいます。これは、音楽に対する冒涜に近いものがあるような気もするのですが、半分くらいは、しょせん流行歌だからとも思ってしまいますけど、現代の音楽感とは、そんなものなのでしょうか?

 そのような番組なのに、健気に歌っていた夏川りみがとても印象的で、好感度をアップさせてもらいました。来月は、彼女も甲府に公演にくることになったようなので、goryuさんと一緒に公演を聞きに行くことにしました。久しぶりのライブは楽しみです!!













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